AIで楽曲を楽器やボーカルに分離する


しげみのむこうは、不思議の町でした――。



初恋不実




 

 

 …なんてことはなく、不思議な銭湯も、ヒヨコや大根の神様もいなかった。しげみの向こうにはただ、泥門高校の誇る稀代の悪魔が、木に凭れながら座って潜んでいただけ。

 悪魔は名前を持っていた。その名も蛭魔妖一。

 忘れもしない高校入試のあの日。非常識にも程がある、と憤慨した相手が彼だった。入学式であの金髪を見つけたときは本当に驚いた。あんな人が入試に受かるなんて!

けれど、一ヵ月後には納得していた。

なるほど、悪魔には人間の常識なんて通用しないのね、と。その「一ヶ月」というのが大体1週間くらい前の話。

1ヶ月といえば、4週間ちょっと。30日間。その短い期間で、悪魔は様々な恐怖をこの学校にもたらした。先生・生徒の区別無く、その災厄は及んでいる。入試のときに感じた悪寒が的中していたことを、あたしは強く実感した。

 「このままじゃいけない!」と勇んで風紀委員に入ったけれど、あいにく私の担当は、朝の校門に立つ仕事だった。対して悪魔は意外にも部活に入っていて、更に意外なことに真面目に朝練をしているらしい。あたしが仕事をしているとき、彼はもう既に校門の中にいるので、風紀委員として彼を捕まえる機会がなかった。だからといって、凶悪な悪魔を野放しにしていていいわけがない。

個人的に注意をしようと思うのだけど、いざ行動しようとすると、風紀委員やクラス委員などの仕事が入ってきたり、放課後は悪魔自身が部活に行ってしまう。似合わないにも程がある!

同じクラスであるにもかかわらず、私たち2人が顔をつき合わせたことなんて、片手で足りるほどしかないのが実状だ。彼に言ってやりたいことは山とある。きちんと2人で向き合いたいと、常々思っていた。

つまり今、誰もいない裏庭で2人出会ったのは願ってもないチャンスだった。

数分前に私が告白されていなければ。

いくら彼が今いるしげみが、一見隔絶されたような物陰であったとしても、さっきあたしが立っていた場所とは十歩も離れていない。彼にはあたしや先輩の声がバッチリ届いていたと思う。何より、あたしと彼の視線は今、しっかり絡み合っている。彼の意識が明確である証拠だ。居眠りをしていたのでは、という淡い期待はこれによって粉々に砕かれた。

何一つ悪いことはしていないのに、どうしてこんなにいたたまれない気持ちになるんだろう。

よりによって、この悪魔に現場を知られたのは、短いあたしの人生の中でもトップ3に入るほどの不運だと思う。

蛇に睨まれた蛙のようだ。唸り声一つ上げられずに硬直しながら、彼の眼をじっと見詰めた。対して彼は、なんでもないことのようにあたしを見返し、ふ、と首を傾げながら唇を動かした。

「友達カラデイイカラ」

「!」

「廊下トカデ見カケタラ声掛ケ「キャー!」

 さっきまで絡めてたあたしの視線から、「見なかったことにして」という雰囲気は伝わってただろうに、どうしてどうして、どうして!よりによって先輩の例の芝居がかった台詞を口にするのよ!

 何なのこの人、信じらんない。

 わなわなと眼を吊り上らせて睨みつけても、悪魔は面白そうに口元を緩めて笑うばかりだった。

 考えたくないけど、この人のことだ。これから放課後になるまでの間に、今あった出来事のすべてを学校中に言いふらしてしまうかもしれない。真実の全てだったらまだいいわ。でもこの悪魔なら、あること無いこと尾ヒレを付けることだって平気でやってのけるだろう。

 顔を合わせれば苦言ばかりいうクラスメイトなんかを、彼が普段快く思っているはずがないのだから。(元を正せば、苦言を言われるのは彼自身に非があるからなのだけれど)

 実際問題、既に犠牲者が出ていたりする。

入学式のときからずっと蛭魔君に目を付けていた教師一名、ついこの間退職してしまった。理由は学校内の女生徒と付き合っていたのが、学校中に知れ渡ってしまったから。

情報の発信源はいわずもがな。

「・・・言わないで」

「ア?」

「今見たことっ。あること無いこと言いふらさないでよ」

「何が楽しくて、んな面白いことするかよ。くだらねェ」

 信用できない。なぜなら彼には前科があるから。

「・・・平野先生・・・」

「懐かしい名前だな」

「最初は15歳年下の彼女がいるっていう噂だけだったのに、2週間しないうちに学校辞めちゃったじゃない。最後の日に蛭魔君に怒鳴りつけて」

「三十路前の先公の、15下の女の歳はいくつだって?」

「・・・平野先生、入学式からずっと蛭魔君のこと目の敵にしてたよね」

「怨恨だとでも?言っとくが、噂自体、発信源の確証は無いんだぜ」

「確実な物証が、ね」

「含みのある言い方だな」

「蛭魔君にとっては、口煩い人間が消えたことになるわ」

「あんな小蝿、払う気にもならねぇよ」

「だったら、どうして?平野先生すごく怒ってたじゃない。『人生メチャクチャだ』って。確かに、未成年と交際してたのはどうかと思うけど、お互いが好き合ってるというなら、他人が口出しして、暴いたりしていいことじゃないわ」

「・・・お互い、ね」

「え?」

「恋愛ごとだっつーなら、何の弱みにもなんねぇよ。・・・まぁ、平野の場合は立場上、十分弱みになるけどな。だが奴自身にその価値が無ぇ。俺がアイツを脅したのは、あの外道を野放しにしてたらキックに集中できねぇだとか、どっかの馬鹿が抜かしやがったからだ」

「・・・それって」

頭がすごく混乱している。今日はいろいろある日だ。それも前触れも無く。

こんなにたくさん、いろんなことを知ると解ってたら、トーストなんて食べてないで、白米をきちんと食べてくれば良かった。そういえば、お昼だって食べてない。腹が減っては戦が出来ないのに。あれ、でもこの平和大国日本で、戦なんて起こるわけがない。受験戦争はこの間終えたばかりよ。

後から思えば、この時のあたしの知能指数は、50も無かったような気がする。それくらい混乱していた。

初めて知った驚愕の事実に。

彼の言っていることは、つまり。つまり――?

「つーわけで」

「は、」

「糞風紀委員の生温い恋愛事情なんざ、歯牙にもかけねぇよ」

 常であったら、その憎たらしい言い方に噛み付いているところだけれど、先ほどの話を聞いてしまった今は、無造作に彼を詰るなんてできない。

 リトマス紙じゃないけれど、瞬く間に赤から青、青から赤へ、あたしの心情は変化した。

 もう彼をただの悪人として見られない。

「わかった。信じる」

 ポツリと言えば、彼は真意を問うような眼を向けた。

「蛭魔君は、自分の利益にならないことは、良いことも悪いこともしないってことが、よっく解った。言わないで、なんて余計な頼み事だったみたいね」

「随分と高い評価をいただいたようで」

「自慢じゃないけど、買いかぶってたことなんて無いのよ」

15やそこらしか生きてねぇのに、そうそう失敗なんてあるか」

 小馬鹿にしたその台詞にすら、怒りがわかない。劇的な自分の変化が面白くなってきた。おもしろい。

「そうね、じゃあ15年しか生きていないあたしは、人生経験も足りないことだし、さっさと教室に戻って5限目を受けて見聞を広げることにするわ」

言うなり踵を返して、その場から立ち去った。

あたしが立ち去らない限り、彼も立ち上がることをしないだろうから。何だかんだ言って、彼が授業をサボったことは一度も無い。時には教師の間違いを徹底的に指摘して、禍々しい授業を展開させたりすることもあるけれど。彼の席が空だったことは無かった。

何気に彼が、無遅刻・無欠席、皆勤賞の優等生であることに気が付いて、可笑しくなってしまった。

あれで、自分勝手で、人を脅すことさえ止めてくれたらなぁ・・・。

止めてくれたらどうなる、という深いところまでは考えなかった。無意識に鍵をかけた、というよりも、ただ目の前の彼の新しい一面に喜んでいた。楽しかった。

足取りも軽やかに教室に戻る。あいにく、お昼を食べる時間は残っていなかったけど、友達からポッキーを数本貰えた。食べている途中で、その子と眼が合う。どうやら先輩からの呼び出しの顛末が気になっているみたい。

簡単に説明しようかと思ったけど、教室に先生が入ってきたので、慌てて席に戻った。後でね、と目線で友達に謝ってから、机の中の教科書に手を伸ばした。

 

 

ふ、と、窓際の席に眼を向ける。いつの間にか金色の悪魔が、すました顔でその席に座っていた。

やっぱり可笑しくなって、誰にも気付かれないように小さく笑った。

 

 

 

 

***
遂に大王様御登場!長っ!

とりあえず、ここまでが設定紹介みたいなもんです。引っ張ったなー。

次からは、割とオムニバスっぽくなる予定、です(あくまで予定ですが)。


(2005/12/23
)